夢か現か幻か
そこにあるもの
真のものでありしかど
空事のみありける
さてここにある一枚の小さき鏡
姿現す
痛々しいほどに華奢な白き花
明かす夜毎に
一枚また一枚と
咲きし己を散りぬるは
誰ゆえに
狂おしや
ああ
狂おしや 狂おしや


written by カヨコさま

口付けを
交わすのは
鏡に映るその姿
触れられない
その髪の その指の その瞳の
あなたの温度
ただそれを感じたいの。
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扉を開け、まず目に入るのは夥しい花と打掛を羽織、
その白磁の肌に紅を入れようとする一人の女優。
女優は鏡越しに、俺の姿を認めると、軽く会釈した。
儀礼的なその姿には、いつも心を痛める。
そんなこと君の預かり知ることではないだろうが。
一連の動作をマネージャーと談笑している合い間に盗み見る。
荘厳な舞台を創り出すために装う君はことさら美しい。
いや 美しくなった。
薄く開けた唇に、紅を差し入れるその姿に幼さはどこにも無い。
むしろ、生来の無垢な性質が凄艶なまでの色気を醸し出している。
ふと、昔を思い出す。
いつも俺に向かってきて、何の遠慮も無く本音をぶつけてきたな。
けんか腰につかみ掛かっては、その小さいからだのどこに
あるのかと思うほどの大きな声で捲くし立てた。
俺は君とああいう喧嘩をするのが嫌いではなかった。
君は随分と無口になった。
ここ数年、笑う姿を見たことが無い。
いつも一人佇んで、話しかける相手には寂しい笑みで応える。
昔の仲間たちや、往年の共演者である者たちにさえ、どこか距離を置いている。
誰も近づけなくなった。
一体いつからそうなってしまったんだ?
皮肉にも憂いを帯びてくるにつれ、演技は神格化していく。
何を思っているのか、何を感じているのか、誰がそこにいるのか。
分からなくなればなるほど大きくなる賞賛。
所属事務所の社長とその女優。
女優として成功しているのなら社長としてそれ以上を求めるわけには行かない。
思考を打ち消すように無機質な連続音が響く。
すみません、と言いながらマネージャーが席を外した。
大柄な彼の立てる音が過ぎると重苦しい静寂が訪れる。
何年振りだろう。
こうして二人きりになるのは。
得体の知れぬわずかな期待を抱きながらマヤのほうを見やるとちらりと視線を動かし、
人が一人いなくなったことを確認しただけであった。
女優はひたすら鏡の中の自分に集中する。
その女優にとって鏡に映るのは彼女だけなのだろう。
ただ気まずい空気が流れるだけなのに、その場を立ち去りがたく覆うばかりの
花を見渡す。本来のあるべき広さの3分の1を占めている。
ここを出たロビーにも廊下にも収まりきらないものをどうにか収めた、
各界の著名人を含めた彼女の信奉者から贈られた花で少々通行が不便になっている。
「すごい量だな。」
「ええ、本当に。ありがたいけどこんなに贈られると。」
毎度ながら部屋中に芳香が立ち込める。
部屋を覆うばかりの花々。
ずらりと並ぶその中に紫の色はもうない。
花の匂いを打ち消すように、タバコに火をつけた。
細くたなびく煙の向こうに金糸の模様が映る。
深紅の布地に見事な梅の刺繍の施された打掛け。
ともに送った紫の薔薇。
あれが最後になってしまった。
答えてはくれない君の背中に問うことを許してくれないか。
言うことの適わなかった本心を。
未だに欺き続ける勝手な思いを、せめて虚像ではない、
舞台や映像を通さない血の通う君に語ることを。
紫の薔薇を送るたび、君が幸せになれば良いとそれだけを願っていた。
女優として大成することを望んでいたが、それ以上にたとえ名声などなくとも、
君が奔放に人生を楽しんでくれればと。
丹念に装うその指を見て、寂寥が波のように押し寄せた。
俺が彼女をこうしてしまった。
全て良かれと思ったことが女優として大成するということ以外
裏目に出てしまったのではないか、女優として大成したことも
彼女にとって正しいものではなかったのではないか・・・
いくら考えても答えが出ないんだ。
君の心には何が映っているんだ?
教えてはくれないか、マヤ。
装いがもうすぐ終わる。時計を見ると開演60分前になっていた。
もうこれ以上ここにいる理由はない。
そろそろ出て行こう。もう一度、装うその姿を見つめた。
白い透き通るような指で細かなところを直している。
あともう少しで彼女の全てが覆われる。もうすぐ彼女は彼女でなくなる。
ドーランで隠された肌、赤い唇、澄明で静かな瞳
他者の追随を許さない、神秘を孕んだ存在。
そこに漂う雰囲気が先ほどまでとは全く異なっている。
空気は張り詰め、彼女を中心に、本能的な緊張が走る。
演じるということの究極がここにある。
やはり君は女優のなかの女優だ。
もしかしたら、君はそれで幸せなのかもしれないな。
自らの苦悩が杞憂であればいいと、実に傲慢なことを考えながら、目を背けた。
「じゃあ、北島君頑張ってくれ。」
目元に紅を入れながら、小さくはい、と答える。
その仕草は洗練された女優のものだ。
もう二度と、俺に突っかかってくることも無いんだろう。
もう二度と、笑いあうことはないのだろう。
そして、俺はもう二度と、君の楽屋を訪れることは、ないだろう。
君にとって、鏡にも映らぬほどの、存在なのだから。
自らの招いた現状から、逃げるためだけに、扉のノブに手をかけた。
ふと。
小さな鏡が目に入る。
最後に出会えた、君の姿を、目に焼き付けようと鏡をそっと覗き込んだ。
思わず、息を呑んだ。
その中に女優はいなかった。
鏡越しに切なげに、不安げに俺を見つめる一人の少女がそこにいた。
― 行ってしまうの?
彼女の瞳がそう語っている。
振り返ると、鏡の中の彼女が目をはっと見開き、唇が、少し開いた。
コトッ
白い指の合間から、筆がこぼれ、畳に赤い弧が落ちる。
揺れる瞳を追うように黒髪が表情を隠した。
顔を上げ、女優であろうと表情を作る。
女優は落ち着いた様子で筆を拾い、反対側の目元にあてがった。
ほんの数十秒の光景が、真実を雄弁に語る。
― 何と愚かなことだったろう。
今頃ようやく気づいた。
君が真実を隠してきたのは、俺が真実を語らなかったからか。
俺のために、言葉を閉ざし、仮面を被り続けていたのか。
鏡の中の彼女は、俺の知る北島マヤだ。
女優であるとともに、かけがえのない存在である、あの彼女だ。
距離が縮まるにつれ、彼女の指がかすかにふるえ、赤い線が歪む。
「何の、御用でしょう。」
震える声で、彼女がつぶやく。
振り返ろうとした彼女を後ろから抱きすくめた。
彼女の体が大きく震える。
「やめてください。何をするんですか・・・。」
抵抗しながら、か細い声で、呟く。
その声が鼓膜を伝い、理性を崩した。
彼女の抵抗を抑え込み、なおも強く抱きしめる。
ずっと、ずっと、長いこと、こうしたかった。
「やめてください・・・。もう・・・やめて・・・・。」
腕を外そうとしていた力がふっと無くなり、その代わりに。
彼女は泣き出した。
まるで幼子のように。
「・・・は、やみさん、はなして、はなして。」
紅が目元のものか、それとも唇のものか分からないが袖を汚す。
この紅は君が俺を思ってくれている証なのだろうか。
崩れた仮面から、零れ落ちた涙をなぞり、そして、マヤの呼吸を奪った。
柔らかな、紅の花。
この花を手に入れるために、俺は一体何を捨ててしまったのだろうか。
後ろに何が広がっているのか、何が崩れ落ちたのか分からないが。
もう一度、それを手に入れろ、構築しなおせと理性がいっている。
無理な話だ。
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夢の世界の幕が開ける。
静寂の中心にいる神々しい舞姫・・・・
自ら手折った花の、なんと美しいことか。
男の胸は歓喜に溢れていた。先ほど奪った唇から溢れ出る恋の狂気。
瑞々しいその生命は彼を掴んで離さない。
彼の袖と、女優の唇は同じ色をしていた。
永遠の恋へと観客を誘う神の申し子。
彼女の作り出す世界に陶酔し、今日の舞台がどこか違うことを感じながらも、
誰一人として、その世界が根本から覆されたことに気がつく者はなかった。
白い花は紅に染まり、皆の憧憬は永遠に一人の男のものとなってしまった。
扉にかけられた鏡の、なんと罪深きことよ。
終
<カヨコさんからのコメント>
ご拝読、ありがとうございます。
マヤちゃんと速水さん、二人の壁が崩れる一瞬というものを自分の好きなアイテム鏡を使って
表現出来らな〜〜と思っておけいさんのお見舞いに送りつけてしまいました。
病状悪化させたのでは??とそれだけが心配ですが(笑)
思いもかけず、日の目を見ることとなって、嬉しい限りです。おけいさん、ありがとうございます。
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“お見舞い”と書いてあるので急いでメール見直したら腰痛かった時のだと判明しました…
そうです、そんな昔に頂いていたのも係わらず、お互い色々あって(笑)今頃ようやくUP出来
ました。今回もステキな作品どうもありがとう〜〜♪ホント、カヨコさんには毎回驚かせられ
ます!おもしろキャラ(失礼)からどうしてこのような作品が書けるのでしょうか?速水さんと
マヤちゃんの間に立ちふさがる見えない壁…崩れ去る瞬間はあっけないのに、崩れるまでの
息が詰まるような苦しい想いに……きゅ、救護班!酸素を…(笑)
今回も素材選びに悪戦苦闘。キーワードが“鏡”なだけに鏡素材しかアタマに無くって、探しまく
りましたが無いのよね……って、ことで自作しました。ホントは「壁にかけてれている鏡」なんだ
けど手鏡で申し訳ない(汗)ちなみにこの手鏡、アタシが中学の時に作ったもので裏面には
梅の花が彫ってありんす…何たる偶然!?(何が?・笑)